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  • 執筆者の写真照屋 唯志 よみがたり絵本作家一

私の先祖と繋がりがある「泡瀬のビジュル」に行ってきた。

今日、「泡瀬ビジュル」に行ってきた。

実は、その拝所が、

私の母方の先祖と深く繋がっている事が、今日わかった。

(今朝、母の親戚宅で聞いた)

感動!

生前、私の母は、

「ワッター先祖はビジュル神と関係あると聞いてるよー」

と、よく言っていた。

それは本当だった。

本日、訪れた理由は、

FBで知り合った方からの声がけで、

この「泡瀬地区」についてのプチ絵本作成依頼の相談があったからで、

その打ち合わせの前に立ち寄った。

単なる偶然なのか、

ほんと、不思議!

もし、今回、この仕事を請け負う事になった場合、

これから、この地域へ頻繁に足を運ぶ事に

なるのかもしれない。

私は、

僅かではあるが、この地に関係のある血筋の人間なので、

なぜかしら、

「この地の事を勉強し、貢献しなさい」

と、言うような先祖様からのメッセージに思えて仕方がない。

感謝!

この仕事が良い方向に行き、

結果的に地元に貢献できればいいなぁ、

と思っている。


奇しくも今日は旧暦の8月1日、

何か不思議な感覚で祈りを捧げた。


ビジュル神



ここで

「泡瀬ビジュル」の由来を簡単に紹介します。

泡瀬はその昔、

「あせ島」「あわす島」と言われた無人の小島でした。

それから、1768年ごろ

読谷山間切の在番役を退役した「高江州義正」氏がこの地にきて、

砂州と干潟を開墾したあと、塩を焚き、この地に人々が住めるようにしました。

そんなある日、彼(高江州義正)は

海面に浮かぶ「霊石」を見つけ、持ち帰えると、

村を守る霊験新かな「ビジュル神」として祀りました。

それが、信仰の始まりと言われています。

時は流れ、今では、「無病息災」「子安」「子授け」など、

沖縄市内外(県外)からの参拝者が、多く訪れる場所にもなっています。

(コロナ禍の前まで)

私の母親が、

「高江州家」の血を継いでいる事が、本日、確実にわかりました。

という事は、私も「子孫」の一人という事になります。

直径ではなく分家からの流れになりますが

何故だか、自分のルーツを知っただけでも、とても嬉しい気持ちになった次第です。

今回、この地域の仕事に携わる事になったとすれば、

凄いモチベーションに繋がっていくと思います。

その時は、真心込めて対応していければ、と、思っています。


ビジュル近辺にある

拝所の写真も2、3点アップししおきます。

ご覧ください。


カーヌ毛


火の神

ウブカー


メーヌ御嶽



長文を読んで頂き

ありがとうございました。


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